’19年11月 幾万の 命(みこと)に誓う       勇気ある生き様








本格的な冬を迎え
生活も身体も
モードチェンジに忙しない
12月となりました。

師走
いかがお過ごしですか?

こんにちは
Mrs.&Mr.小柴は
すでに気分を入れ替えて
冬の仕事に励んでおります。







11月12日に
今年の現場を閉じてから
およそ3週間の休養を
いただきました。

多少の周辺業務はあるにせよ
ほぼ完全休養に近い3週間は
創業時の
生産力未整備時期を除いては
過去再充実レベルとなりました。

お天道様の御機嫌もありますが
お客様各位の支えがあればこそ
経営体としての形を
整えさせていただいてます。

今年も本当にありがとうございました。







お陰様で
ほんとうにお陰様で
代表とともに
リフレッシュ+リチャージの
3週間を頂戴できました。

イベントに行ったり
旅行をしたり
美味しいもの頂いたり
念願の地を訪ねたり
息子を訪ねたり
婚礼をしたり

その一々で
皆様の元へお届けした
あの赤い箱が生み出してくれた
御代の積み重ねを思い出し
還元させていただきました。

この御代に込められた
お客様方の思いを忘れることなく
これからも真摯な生き様で
御期待に応えていこうと
再確認させていただいた
オフの3週間でもありました。







ゼロから始めた
今の事業

それが16年の時を経て
いただいた御代で
リフレッシュ+リチャージが
可能になるまで
育てていただけたこと
まるで夢のようであります。

今月も
相変わらずの
くどくコッテリの内容ですが
どうぞお楽しみくださいませ。








「農業は 人生を賭ける 価値がある」





<経営理念>
「農業は 人生を賭ける 価値がある」
Nisekoから世界へ! 季節を耕す物語



北海道 小柴ふあーむ
公式ホームページ



北海道 小柴ふあーむ
今年の営業
すべて完了いたしました。

どうもありがとうございました。







ホームページのショッピングカートでは
商品ラインナップを継続して
展示しております。

ショッピングカートは
こちらから!


ウィンドウショッピングの様に
しばし楽しまれるのも
興かと存じます。

ショッピングカートにて
ぜひ一度お確かめ下さいませ。


小柴ふあーむのこども達は
日々を忙しく送られる方に
季節の節目を気付かせてくれる
北海道ニセコからのお届け物として
年々評価が定着しつつあります。

北海道とつながった
あなただけの季節感を
北海道 小柴ふあーむ が
お届けします。

待ってワクワク
届いてニッコリ
食べてジンワリ

大切な方と分け合って
嬉しさ倍増の春夏秋冬
いまから始まる今年一年の
「季節を耕す物語」です。


今年見逃したあなたにも
来年こそはお会いできるよう
安定かつ充実のラインナップで
代表とともに
お待ち申しております。

来年こそは ぜひ!
お試しくださいませ














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最新情報を現場から
随時アップ中!

臨場感タップリに
「季節を耕す物語」 を
リアルタイムで
提供しています。

天気のめまぐるしい変化
日々作業の進み具合
目を見張る作物たちの成長
そして
私たちの 喜怒哀楽

ネットであなたがご覧になる風景は
同じ時に私たちが現場で見ていた風景
リアルタイムのアップで
お互いの季節を共有しましょう。

本当にお届けしたいものが
ここに詰まっています。

「季節を耕す」とは
どういうものか?

小柴さんちは今日
なにをしてたのかな?

北海道は、ニセコは今日
どんな天気だったのかな?

生産者でしか気付けない視点
地元ならではの臨場感を
皆さんにもお分けしたく
毎晩更新しています。

ニセコの今を
どうぞチェックしてみてください。











今月のテーマ
幾万の 命(みこと)に誓う
勇気ある生き様



あらためまして
今月のテーマ

「命に誓う」
についてのお話し。







今般
長年の願いが叶い
東京・九段
靖国神社へ
お詣りに行けました。

246万6千余柱の
「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」

日本人として
海外生活経験者として
土地を扱う農業者として
ここへのお詣りは
欠かさざるべきものと
予てより考えておりました。

しかし
私的事情により
なかなか機会を窺うこと叶わず
ようやと環境が整った
北海道移住16年にして
念願というか
責務を果たすことが
叶いました。







出身地・旭川にも
北海道護国神社がありますが
そこの参道を歩く時と
空気は同じ。

そういえば
ルーツ・新潟の護国神社も
そうでした。

大きく重く
私たちの身に
のしかかる気は
過去の参詣と似ておりますが
ここはさすがに
別格の重さでした。

参道を歩いているときから
涙腺にグイグイ来てしまい
御神霊の存在感が
圧倒してまいりました。







私自身の出自も
戦争とは無縁ではなく
亡父がどこかで
運命のいたずらに弄ばれていたら
今の私も
息子らも
ここには居なかった。

また占守島に
殉国の方がいなければ
北海道そのものが
北海道ではなかった。

ここで農業を営んでる環境は
出現してなかった。

すべては歴史の
端々の事ですが
キーポイントで命を投げうった
御神霊がいるからこそ
こうした生活も出来てるし
こうして月報も書いていられる。

家族を持ち
歳を重ねるに従い
殉ずるという概念が
他人事ではなく
常に身にまとわりつくものだと
気付かされております。







平和って、なによ?
自由って、なによ?

そんなことに疑問を感じないで
平和や自由を謳うなんて
いい歳した大人として
未成熟と言わざるを得ません。

農業って
そういうことを日々の業務で
気づかせてくれる
深い一面もありまして
この点
代表も似通っておりますよ。

畑の生産物で
子供を育て上げる。

その為に
何が整備されていなければ
ならないか?

ゼロから始めた
新規就農者だからこそ
そこに強く反応するのかも
しれませんね。

まあ、そんな伏線で
今月の月報は
進んでまいります。

どうぞお楽しみくださいませ!










今月のフラッシュ






 


'19年11月
「幾万の 命(みこと)に誓う 勇気ある生き様」
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All rights reserved @北海道 小柴ふあーむ










今月のあれこれ
















「結弦に会いに」


10月のはじめ
珍しく代表が
意思表示してきました。

ねぇ、ちょっとおねだりしたいんだけど・・・

改まってなんだ?
珍しいなぁ
不要不急はめったに
ねだらない人なのに。

訊くと
フィギュアの大会を
見に行きたいんだと。

ああ、それなら納得!

代表は
結婚する以前から
半端なく筋金入りの
フィギュアスケートファン。

イギリスに居た時も
バーミンガムの世界選手権に
一緒に行ったもんね。
当時日本は
八木沼純子さんの時代でしたっけ。

今だって
これだけ忙しい日常にも関わらず
動画サイトで世界各地の試合を
フォローしていますしね
各選手のプログラムとか
採点基準とか点数とか
あと世界ランキングなどなど
おおよそ必要なデータは
網羅されているようです。

昨年から今年の
採点基準の変更についても
相当お怒りのようですしね。
日本潰しだって。

ねぇ、一緒に行かない?

いつもの精進に報いるためにも
ダメもとで応募した
チケット抽選。
なんと、当たりました!!

訊けばこれって
異常なプレミアらしく
信じられぬほどの幸運だとか?!

会場への往復
試合中
代表はワクワクを隠さず
遠足の小学生みたいな
高揚感でした。

念願かなって
生の結弦さんを拝見でき
はたまたロシア女子の二名とか
まず凄かった!

現場で見ると
選手の息遣いとか
ブレードの振動音とか
エッジの切削音とか
力学的な運動状態が
肌で分かりますね。

また現場特有の
運営スタッフたちの仕事ぶり
機材の豪華さとか
それを操るプロ動きとか
世の中の一流が
選手以外にも見て取れて
そこに居るだけで
ワンダーランドでした。

高速で移動する選手を
追跡し続けるカメラ群

ボーカルのかすれから
ドラムスの震えまで再現するPA群

1分1秒で管理される
マネジメントの緻密さ

家に帰ってきてから
自分の仕事にも通じる
超ハイレベルな現場を
堪能してまいりました。

結弦に会いに・・・

それが叶って
代表は満足気でありました。
その夜は幸せそうに
眠っておりましたよ。















「単行列車で行くJR函館線」



北海道の鉄道は
気動車の天下です。

この場合
ディーゼルカーと言わず
気動車と言うのが
通であります。

高度経済成長期には
どの路線でも
複数両の運行が
当たり前でした。

運転台の関係もあり
最低でも2両編成。
場合によっては
どんなに人が乗らなくても
機材遣り繰りの関係で
4両編成とかが
良くありました。

先日、中曽根元首相が
亡くなりましたね。
彼が断行した
公社民営化。
鉄道も
国鉄からJRへ
体制が変わりましたね。

あれは
87年4月1日

忘れもしません。
私にとっても
人生の舵を大きく切った時
でしたから。

その日
私は静岡県磐田市の
オートバイメーカーに途中入社しました。

つまり
国鉄最後の数日前に
前職の岩手県から
新天地の静岡県まで
新幹線を乗り継いで
移動していたんです。

岩手を旅立つ時も
静岡に入る時も
荷物を抱えて
ホームにひとりで
立っていました。

おそらく
険しい顔で
あるいは
緊張した顔で
ホームに立ち
改札を潜っていたでしょう。

でも確実なのは
ひたすら前を見て
歩みを進めていたこと。

何も知らぬところへ
一人で飛び込む
野武士みたいな気持ちだったことを
いまも覚えています。

その時
通過する東京駅を中心に
国鉄民営化の準備が
大忙しで行われていました。

表示板などは
2種類用意されていて
そこかしこに
未だ目隠しされた
JRバージョンが並列にあり
駅員たちも
これまでとは異なる緊張感で
接客に臨んでいたのを
憶えています。

さて
ここJR函館線。

旧名を 函館本線と
申します。
本線、つまり幹線として
明治開拓期から
北海道物流の一翼を
担ってまいりました。

以前は
10両以上の旅客列車とかが
難所の峠を越えて
走っておりました。

函館線
小樽〜長万部
峠が4つもありまして
いずれも急勾配で屈曲し
動力車泣かせの
線区であります。

有名なところでは
蒸気機関車時代に
大型の特急用機関車
C62が運用されてた時
低速でしか通過できない
小半径が連続する区間ゆえ
無駄に重連運転が必要で
たかが?急行列車のために
それはそれは勇猛たる運転を
しておりましたね。

低速・高トルクが
求められる運転状況では
動輪の摩擦力が足りずに
結果、重連となるんですね。

そんな線区も
動力革命後のキハ22から
キハ40へと移り
それもすでに旧式化して
時代はキハ150。
しかも単行運転が
当たり前となってます。

しかし
このキハ150
見かけは小粒ですが
非常に強力で
1両当たりの動力性能なら
以前の特急用車両の
2倍近いパワフルさで
単独運行に臨んでます。

以前は連結運行が前提なので
特に冬の排雪しながらの走行も
先頭車両を後続車両が押して
スクラムを組みながら突進する
そんな感じでした。

そう、なんだか
啓示に富んでますよね?

大きな経営から
小さな経営へ

相互補助から
自力完結へ

経営の時代変化は
機材に如実に表れています。

状況の変化に強いのは
身軽でパワフルな動きが
出来る者。

この視点
かのダーウィンも言ってますね。
生き残るのは
強い者ではなく
変化できる者だ、と。

最悪なのは
力もなく、変化も出来なく
ただ財産を食いつぶす経営。

変化の意味も
外観の場合もあれば
内面や本質の場合もある。
必ずしも
目に見えるものではない。

大刀小刀使い分けて
痛みを恐れず
己の身に打ち下す。

その勇気が無ければ
生き残ることはあり得ない。

JR函館線の変遷は
非常に示唆めいていて
己の身の振り方に
とても影響を与えます。















「巡礼の旅」



これまでにも
2回ほど青函トンネルを
潜りました。

連絡船世代の私には
あぁ、たしかに
繋がったんだねぇ
と思えたものですが
いまひとつ
感慨と言えるほどには
達しませんでした。

在来線だと
函館〜青森が2時間ほど
掛かっていたんじゃないかしら?
しかもそれぞれで
乗り換えがあるから
連絡船の頃に比べて
短距離化が劇的!
というほどじゃ
なかったんですよね。

さて
それでは新幹線なら
どうなのか?!

ダイヤを見れば
函館から東京まで
4時間半とのこと。
もう信じられんほどの近距離感
ですもんね。

未熟な青春の地・岩手
亡父が終焉の地・福島
それらを巡るべく
函館から東京まで
鉄路で一気に
駆け上りました。

うん、速い。
ド速い。

函館から青森まで
たった1時間。
これなら陸続き感
ガッツリ感じますね。

しかも
仙台までのアッという間感
さらにそこから宇都宮
大宮までのすっ飛ばし感が
強烈です。

北海道・東北新幹線は
高架の上に
ゴムを挟んで線路を敷いた
スラブ軌道というもので
260km?の全力運転においても
ほとんど揺れないんですね。

岩手、福島
もっとゆっくりと
目で確かめたかったのに
それぞれが通過駅でしたから
Googleマップで
現在位置を確かめてないと
簡単に見逃しますね。

この地は
青森から東京まで
実際に自分で
遊び歩いた領域なので
距離感を身体が覚えているんですが
もはやそれも
前時代的なもの。
完全にワープ感覚で
自分的には
まだ白石かな?
なんて思ってたら
もうすでに福島通過とか。

時間を超える
壮大なプロジェクトには
恐れ入ります。

巷では
北海道新幹線無用論を
けたたましく
ホラ吹く集団もおりますが
時代への布石は
こういうものです。

鶏が先か
卵が先か

北海道の地域経済が
在来線と新幹線で
どう変わるのか

東海道・山陽新幹線が
沿線の変革にどう作用してるか
よ〜く考えた方がいいですよ。

なにも東京中心ばかりじゃ
ないですからね?
特に北海道は
東北の実力をもっと
見習うべきですから。
その為のツールとして
新幹線がキーポイントになるかも
しれませんよ?

まあ、北海道側の
自覚次第でしょうがね。

とにかく
交通機関というものは
時間を超えるものという
極シンプルな概念を
見事に具現化している
北海道新幹線でありました。

札幌延伸すれば
これは革命の起点にできる!
かもしれませんよ?
















「いま風 鉄道の旅」



東海道新幹線
16年ぶりです。
北海道移住以来
初めてです。

懐かしいですね!

会社員時代の
メインエリアですから。

東京駅
新幹線
東海道

すべてが
張切り会社員時代の
ホームステージです。

浜松から東京まで
こだま でよく通いました。
海外出張や赴任も
これに乗って
神妙な面持ちで
成田へ向かいましたっけ。

いま
JR東海はお得な
割引切符を設定してます。

特定便のこだま なら
グリーン車格安で乗れます!

東京〜名古屋
グリーン車で9千円で
お釣りが来ます!

もし、のぞみ で
シャーっと行ってしまえば
普通席で1万2千円くらいかな?

こだま だから
そのぶん時間はかかりますけどね
2時間半ほど。

でもそこはやはり
N700系。
停車駅が多く 待合わせが長くても
運行速度は のぞみ と同じ。
走り始めたら
アッという間です。

今回の趣旨の一つ
東京駅でお弁当買って
グリーン車でのんびりと。

勝手知ったる沿線ゆえ
窓の外から目が離せなくて
悲しいほどアッという間に
名古屋に着いてしまいました。

でも懐かしかったですね!
特に 小田原、熱海
そして丹那トンネルを抜けてから
ほとんど目を皿のようにして
子供の様そのままに
窓の外を食い入るように
見つめ続けていました。

古巣の
静岡〜豊橋エリアは
山川一つ
工場一つ
道路一つ
16年の変化を確かめていました。

特に、そう
磐田通過時は
防音壁の隙間から見える
YAMAHAの技術棟を見逃すまいと
必死になってしまいましてw

周辺の建物が増えたからか
会社のビル
小さくなったな。
埋もれ気味でした。

あの会社に居た時間と
離れてからの時間が
そろそろイーブンに
なりつつあります。

でも
会社の前を通れば
母校の前を通るがごとく
ついつい特別な目で
見てしまいます。

浜松〜豊橋も
SUZUKIの看板を
見逃してしまい
気が付いたら舞阪の橋を通過
ボート場まで来ていました。

日本にとっての16年
北海道にとっての16年
全然異なりますね。

やはり日本は
休む間もなく
動いてます。

この活動の充填剤として
北海道の農産物が
毎日取引されている。
一次産業は目立たぬけれど
必ず必要なものだから
日本が活性化している限り
取引きの場に立たせてもらえる。
それは地味に
我が職業への自尊心を
限りなく奮い立たせてくれますよ。

古巣エリアを通過しつつ
いまの道に悔いは無い自分も
確かめられました。
なにより
それが良かった。

自分が帰る場所
自分が生きる場所は
もう北海道で間違いない。
そう確かめられて
ホッとしました。


















「靖国にて」



そこに
人がいたから
今があります。

靖国で会おう
と言って殉じた人がいたから
今があります。

戦地から回収されてきた
数々の兵器・遺留品には
生々しい弾痕が
数多く刻まれてます。

傷だらけの砲身
穴の開いた戦車
ひしゃげたプロペラ
片方だけの手袋

この弾痕の前に
人がいたから
今があるんです。

逃げずに
立ちはだかった人が
いたから・・・
この国は今もあるんです。

イギリスでは
ポピーデーというのが
あります。

その日は
多くの人が左胸に
赤いポピーの造花を
つけるんです。

国に殉じた人を想い
慰める日だそうです。

私がイギリスに行った頃は
私自身完全な
戦後リベラル教育の
申し子でした。

つまり
戦争にまつわる全てを否定し
斜め上から見下ろしてました。
だからポピーデーも
好戦的な植民地主義の
自意識過剰みたく
失礼な受け止めをしてました。

しかし
海外滞在中に
なにより感じ始めたのは
菊の御紋章がついたパスポートの
その威力。

身近にボスニア難民が
居留していたこともあり
今の自分の身の保全について
徐々に気付かされて
いったんです。

そしてヒースロー空港に
所用で訪ねるに従い
居並ぶ西洋列強の
ナショナルウィングの中に
毅然と起立する日本機の尾翼が
どうしようもなく感動的に思えてきて
その頃からでしょうか
日本とか 日本人とか
原点を意識し始めたのは。

あれだけコテンパンにやられて
ボロカスに叩きのめされても
国を解散・消滅されることなく
また立ち上がり
肩を並べるまで復活し
権限も認めてもらえるようになった。

おそらく今でも
国際社会での日本は
不平等条約的な扱いを
随所で受け続けていると
思います。

それが資源であったり
取引きであったり
乗り入れだったり
スポーツであったり。

比較的正攻法で臨む
日本であるがゆえに
不平等はなかなか解消されず
おそらく
買収などの超現実的対応の国には
悔しいほど出し抜かれて
いるでしょう。

それでも
国際的信用度は
日本はブランドとなっています。
日本と言えば
誠実・勤勉の
一大ブランであります。

この件
冬にお会いする
スキー場のお客様たちから
数限りなく伝えられてます。

これは国際社会で生きていく
私たち日本人にとって
大事な大事な財産なわけで
その財産がどのように
築き上げられたかといえば
先人たちの
身を挺した防衛戦にあるわけで。

かの戦いが
国の意思を敢然と示す
外交行動だったのは
その後の諸外国の対応を見れば
分かるところでありますね。

もちろん
外交手段としての戦争を
日本は放棄してますけれど
近隣諸国を始め
好戦的・威力的外交を
そのまま継続している国際社会で
日本を怒らすと怖いよ?と
一種の恫喝にも似た威光は
先人たちの激しい戦いぶりの
遺産であると思ってます。

この件
子供の頃に殴り合いの喧嘩を
経験したお方なら
ご理解いただけるのではないかと
思いますが・・・。

展示品の数々には
そこに日本人がいて
討ち斃れたという事実が
一つ一つにある。

その光景を想像し
いまに還元しなければ
私たちは何の権利も
主張する資格は無いのではないか?

予てより思ってた
そういう視点を
靖国神社の展示品を前に
確かめてまいりました。

そして
その考えに
揺らぎはありませんでした。

在るものを当たり前と思わず。
生きてるうちに生きよ。
死ぬまで生きよ。

それが先人たちへの
いまを生きる者としての
責務だと
思います。









「人がいた証し」



この遺品、部品
それぞれに

触った人
携えた人
斃れた人
墜ちた人
朽ちた人


いました。

世界各地には
まだまだ埋もれています。
いつかちゃんと掘り起こし
連れて帰ってきてあげられる日が
来てほしい。

退役して
時間のある老年層を使ってでも
各地の御神霊を
連れて帰ってあげて欲しい。

銃痕激しい遺留品もあり
ここに頭を入れてる人がいた
飯盒を持ってる人がいた
そこで土に還った人がいた
と想像するにあたり

小野田さんが講話していた
靖国で会おう!と
運命に殉じた人々を思うと
どうしても涙腺が震えてしまい

いま息子たちが
これから世の中の最前線に
立たんとする親として
無責任に平和を唱え
無自覚に平和を享受するわけに
いかんと思うのです。

現実から逃げてはいけません。

戦後リベラル教育の洗脳から
責任をもって目覚めて
自分の生き様に反映せねば
息子世代に無責任な迷惑を
掛けることになりますね。

無責任な平和提唱は
次世代へ無責任にツケを回し
自分ひとりカッコをつける
はなはだ無責任な
かつ
無自覚な依存を
することになりますよ。
















「作り続けなきゃ伝統は守れぬ」



何かと喧しい
愛知県庁&名古屋支庁
その界隈ですが。

名古屋城って
名古屋市の管轄なんですね。

で、その城内にある
愛知アリーナは
愛知県庁管轄。

同じ敷地内で
鼻っ面突き合わせてますが
管轄が違うということで
なにかと不整合があるようで。

名古屋城に入る時
少しお腹が痛くなりまして
見回したら屋外公衆トイレのみ。
衛生的にもちょっと?でしたので
目の前のアリーナのトイレを
借りようとしたんですが・・・。

玄関ホールのトイレ
何かの催しで締め出しており
ほんの5m先にある
屋内トイレは入れてもらえず
屋外トイレか 入場券を買えと。
名古屋城のトイレではない、と。

愛知県庁職員
取り付く島もありませんでしたわい。

久しぶりに
かなりリスキーなスリルを
味わせてもらえました。

という
名古屋市 vs. 愛知県
トイレ一つも犬猿の仲
の巻。


それはさておき
名古屋城はただいま
復元作業が進んでおります。

天守はまだ計画中ですが
その前の本丸御殿が
きらびやかに完成
公開中でした。

建屋、左官、養生、建具、装飾
とにかく
日本の伝統工芸文化のプライドを
しっかりと見せつけてくれました。
素晴らしいの一語でありますし
気が遠くなる作業の
連続であることが
見て取れました。

天守閣の復元で
色々と意見があるようで
その度ごとに
計画が頓挫・白紙化
してるようですが

私は現地を見て思いましたね。

バリアフリーなんか一切構わずに
いま持てる工芸技術で
最高かつ最良の復元作業に
努めてほしいと。

フェミニズムによる妨害で
現代風バリアフリー建築にしても
なんの意味も価値もない
見学に値しないものに
なってしまいます。

それでも五月蠅いのなら
いっそ全面見学禁止で
構わないと思います。
いやむしろ
そうしてまでも
忠実性を追求してほしいですね。

なぜか?

伝統技術と その職人を
きちんと残していくのが
本来の目的だからですよ。
人に見せるためのものでなく
伝統技術を職人が生きてるうちに
次世代に 後世に
伝承せねばなりません。

見れる見れないの
不公平論が横行するのなら
全面禁止にしてほしい。
そのうえで
親方や熟練が動けるうちに
ちゃんと制作の場を提供して
しかも歴史的遺構としての価値を
不動にしてもらいたいものです。

本丸御殿の造作を見て
これは残さねばならん!と
強く思った次第。

活動家たちによる妨害工作を
真に受けてはなりません。

というのが
現地現物に相対しての
小柴的意見ですね。


そして最後にもう一言。
河村市長、がんばれ!














「一堂に会す」



小柴家は
福岡にて
8年ぶりに一堂に
会しました。

前回は
三男坊がまだ中学生の時
随分と時が経ちました。

まさか九州・博多で
家族再会となるとは
人生とは面白いものです。

と同時に
代表一家も
初めてといえる
家族旅行。

慶事を利用して
それぞれにとって
忘れ得ぬ時間を
持てました。

それぞれが
社会人としての自覚と責任の下
一つの慶事を盛り立てようと
やさしい心で集まりました。

わがままを言う者、無し。
調整に背く者、無し。
失礼を働く者、無し。
人の慶びのために
折れる者たちばかり。

思いやりに溢れ
他者のためなら骨を折り
一肌脱ぐ者たちによる
やさしい時間が持てました。

代表家族にとっても
歳を重ねた母との
プチ家族旅行は
それぞれが皆
嫁に行った立場ゆえ
とても貴重な場となったようで。
家があると
単独行動ってなかなか
とれませんものね。

私と代表
ホスト役として
子供らには貴重な経験を
させてもらいました。

実は
私たち二人とも
婚礼については
引いた考えを持っており
まさかそんな私たちが、と
いささか驚いております。

私個人に関して言えば
もう40年近く前ですが
元姉の婚礼で苦悩する
両親の後ろ姿を見てから
婚礼とか 両家とか
新郎とか 新婦とか
そうしたものを否定的に捉え
出来るだけ避けようと
しておりました。

慶事にもかかわらず
両親が笑ってない婚礼
招待者も笑えない婚礼は
トラウマになりますよ?

かといって
まったく何もなしで
犬や猫の子を拾ってきたみたく
好き勝手に住み始めるのも
それもまた
親としては虚しく
行き場のない腹立たしさに
襲われるでしょうね。
女の子の親なら
特にそうだと思います。
けじめの一つくらい
つけろよな!てね。

で、今般
当事者の若夫婦が
幸いにも賢く
私たちの考えも柔らかく受け止め
広い視野でまとめてくれて
相手御両親の顔も立てられて
うまくバランスしてくれたのが
本当に嬉しかったですね!

いつの間にやら
子は社会経験を積んで
立派に成長しております。

婚礼で集まってくれた
友人たちの人柄からも
子の人間関係が伝わってきて
家を離れてからの13年間
良い時間を育んできたのだなと
ほっと安心しております。

もともと
仲間を見捨てられない性格
それがそのまま
人生の色となって
染み始めてますね。

ほんと
互いを尊重しあう
やさしい時間でした。

代表のお母さんにも
孫と博多の夜を楽しんでもらえて
良かったと思います。

価値観を一にした者たちで育む
やさしい時間
子供らの成長のおかげで
味わえました。

そして
両家代表挨拶は
次回チャンスがもしあるなら
もうちょっと練習しようかなと
課題を残した次第w
どうぞよろしく!














「お祭りは、終わり」



慶事の余韻を
味わうこともなく
翌朝
家族はそれぞれの場へ
三々五々
散っていきました。

その後ろ姿を見て
子供らが身に付けつつある
生きる逞しさを
ひしひしと感じました。

彼らが生きる場は
決して生温くはなく
水も飯も寝床も
冷え冷えとしてるのを
知っております。

でも彼らが選んで
没入している場。
親がどうこう言うなど
不要です。

むしろ
冷や飯食いを厭わず
生きむとしてる彼らに
喝采を贈るべきかと。

そんな息子らの
後ろ姿に励まされ
私も代表を残して
いざニセコへ
戻ってまいりました。

移動や乗り継ぎに
手間や時間のかかる
遠隔地であります。

面倒だな、と
思うこともありますが
一方で
その行程がむしろ
気持ちの切替えに
都合よく役立ってる
気がします。

流れゆく車窓の風景
移り変わる乗降客
そして
徐々に閑散とする
車内

静かになった気動車に
唸り響くエンジン音と
引きずり鳴くブレーキ音

あぁ、帰ってきたなぁ
私の居場所だ!
私たちの
生きる場所だ!

移住から16年経ち
ここに根を下ろすべく
頑張ってまいりましたが
とりあえず
なんとなく
あぁ、小柴さん!と
言われるところまで
やってまいりました。

およそ1週間の
オフの旅

しっかりリフレッシュ
リチャージされて
冬の生活に
精気を漲らせて
もらえました。

また代表と
こんな思いが出来るよう
頑張って働きたいと思います。



















「さあ、私たちの生活だ!」



冷え切った部屋に
ストーブの火が点き

持ち帰った荷物を
解いて眺め

いただいた御札を
きれいに収め拝み

季節の恒例
しなのリンゴを頬張り

起床時間を正して
生活習慣を戻し

さあ、現場モードに
突入です!

冬の小柴ふあーむ
始動します!










今月も どうも
ありがとうございました。










北海道 小柴ふあーむ

「農業は 人生を賭ける 価値がある」
Nisekoから世界へ! 季節を耕す物語



幾万の 命(みこと)に誓う
勇気ある生き様












生きたくても
生きられぬ人

大勢いらっしゃいます。

それが戦争によるもの
のみならず
病気や事故など
不慮の禍によって
時間を止めざるを得ない人が
大勢いらっしゃいます。







ひょっとしたら
明日は自分かもしれないし
明後日は代表かもしれない。

1年後には身内の誰かかも・・・

自分の時間は
多かれ少なかれ
宿命によって
握られています。

今こうして
美味しいものを楽しめても
その帰り道で
ひょっとしたら
何かが起きる可能性も
否定は出来ないのであります。







国家の外交手段として
戦争を放棄する。

そういう憲法を
戦後アメリカに制定されて
以後74年間
変えずにきた日本。

戦争や紛争の当事国には
なっていませんけど
公務や民間企業で
犠牲者は出続けております。

ある意味それも
殉国の一種と
私は思います。







憲法に守られた平和なんて
単なる幻想の謳い文句。

実際には
国民の幾ばくかは
犠牲になり続けてます。

たとえ国内に居ても
隣国の侵略により
拉致されるなど
平和の定義が疑われます。







だから
平和なんて幻想だと
私は思います。

隣人の悲しさや辛さから
目を背けているだけのような
気がいたします。

自分の自由をもって
世の中の平和を代弁する。
そういう傲慢が
安易に平和を謳わせてる。
そう思えます。

それゆえに私は
平和と自由は
相反するものだと
断言したいと思います。

自由を謳歌すればするほど
個人の欲求は摩擦し始め
いつか利権の奪い合いへ成長し
国家間の勢力争いにまで
発展していく。

大正デモクラシーから
昭和大恐慌への繋がりとか
そう見えませんか?

平和と自由を標榜する人ほど
戦争の火種をまき散らしている。
農業現場での経験も踏まえて
ある意味
事実だと私は思います。







それが
望まれるものとは
思わないですけど
世の平和と安定は
絶大な権力がある時にこそ
出現するものだと思います。

一定の基盤と規律があってこそ
個人の行動や欲望も
整えられる。

人間の悲しさ
いや動物としての
避けられぬ性か

争いを無くすためには
統制機能がどうしても
必要なのでしょう。

サバンナの野生と
根本では変わっておりませんね。







統制や威力

争いを避けるためには
必要であり
過去の戦争で殉じた人たちも
大局で見るならば
日本の意思表示の
先兵になられたのだと
思い至ります。

日本の意思表示

それはすなわち
私たち地域の
私たち家族の意思に
ブレイクダウンされる。

直結しておるのですよ。
私たちの生活と
前線とはね。







己の欲望や傲慢を
平和と自由に
摩り替えてはなりません。

真の平和と自由は
緊張と抑制なのが
正体です。

自分個人の欲を
公の正義にかこつけて
勝手な奔放に走れば
それすなわち
ふたたびの戦禍を巻き起こす
小さな原動力になると
肝に銘ずべきだというのが
私たちなりの結論です。







靖国神社の遊就館を回り
安易な平和主義に
陥るのもいいけれど
実際のところ必要なのは
平和と自由の標榜が
先人に宿命をもたらしたのだと
悟るべきじゃないかと思います。

いま私たちは
畑に生きています。

小さな畑を借りて
古くからの地域で
生存させてもらってます。

もし何かのバランスが崩れれば
こんな経営
一夜で消し飛んでしまいます。

自力で経営を守り切ることは
出来ません。

どうなるかはわかりませんが
そういう時のために
常に信用を大事に生きて
地域にとって
居ても良い人間足らんとすることが
我が家にとっての
平和と自由の確保です。

殉じてくれた幾万の命(みこと)に
いまある生を感謝しつつ
生きてるうちに生きる
死ぬまで生きるを
忘れぬようにしていきたいと
靖国神社で誓ってまいりました。




今月もどうもありがとうございました。














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この機会にぜひ
小柴ふあーむのこども達を
お試しくださいませ。












次回報告は
新年のご挨拶。

小柴ふあーむ も
冬の仕事ばかりでなく
決算作業の真っ最中となります。

良いお正月
迎えられるよう
代表とともに
お祈り申し上げております。

今年一年
御厚情・御愛顧を賜りまして
誠に有難うございました。
厚く御礼申し上げます。

あわせまして
皆様の御健康・御多幸を
心より祈念申し上げまして
今年の〆の御挨拶と
させていただきます。

どちらさまも
冬本番の寒さに
体調崩されませんよう
御身体お気をつけて
がんばってくださいませ。










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