小柴家の風景
'04年01月 「九州の旅2」

いつのまにか正月も遥か遠くに思える日々、みなさんいかがお過ごしでしょうか?  近況報告に対して頂く皆さんからの励ましがとても痛痒い 小柴 です。

まず先月の報告について厳しいお叱りの声が多々あり、ここに改めてご報告いたします。
  お叱りはただ一点に集中しており 「報告不備につき再提出を要する」 とのこと。
1)報告書の呈を為していないとか、郷土での"ふれあい”に不足がある
2)記述に対するデータ、図面、写真の添付が皆無である
3)実習単位不足につき留年、最履修せよ(もうしたよ)
4)オラの地元ミスは何で検証しなかっただ!?

 つまり鹿児島で「維新ふるさと館」について触れた内容があまりに不足で嫉妬激怒のお叱りを頂きました。 言い訳でありますが「館内の資料、展示物にはお手を触れぬようまた写真・ビデオ撮影も固く御遠慮願います」 となっておりました。  つまり他社工場に一般見学者を装い潜入したようなもので、後ろ髪引かれる思いで現場を後にした次第です。
その様なわけで何卒溜飲を下げていただくよう、お願い致します。

では今月の主題「歴史の結末」について、今日の平和の代償と私たちの在り方を絡めてご報告いたします。



1.「律令制度」の結末

奈良県斑鳩町 法隆寺。
世界最古の木造建築を高校以来25年ぶりに訪れました。 複雑な仏像も一木彫りだけでなく、鋳物であったりします。 型抜き、型割りは一体どうしたのか、修復技術や製造方法など、西岡棟梁のなさった仕事かと思うと感慨が深くなりました。



 ところで現法隆寺は聖徳太子亡き後に焼き尽くされて900年代に再建されたものだそうです。「和を以って尊しと為す」律令制度を推進した太子を良く思わない豪族 蘇我氏が太子崩御後に一族数十名を法隆寺ごと抹殺してしまいます。 葬られし象徴がこのお寺だったのです。

2.「体制変換」の結末

熊本県植木町 田原坂。
西南の役で大激戦となったその地を訪れました。 この地で17日間、4千名の消耗を伴い百姓(徴収兵)が武士(士族兵)に史上初めて勝ちました。 その勝因は戦略に基づいた資材準備と補給展開でした。




 維新直後に暗殺された大村益次郎はこの10年前に「足利尊氏のような東上」を予見し準備してました。(これが兵庫県の由来、4へぇ〜)
ただ悲劇は、薩軍・官軍とも日本の行く末を思う同胞だったこと。 昨日まで新生日本に力を尽くした仲間同士だったこと。 維新の切ない結末の序章でした。

3.「武士」の結末

 鹿児島市 城山。
薩軍最後の戦いが、300名 vs. 30,000名で行われました。 そして西郷は従卒40名とともに大保塁へ最後の突撃をしたのですが、その駆け下った道(岩崎谷)を自分の足で確かめてきました。 敗走の果てに城山に戻った薩軍300名にとって城山から眺める桜島が心の拠り所だった、と容易に想像できました。


 最後の武士たちが死所を求め、ここを駆け下りて来て散りました(司馬遼太郎はその様を「屠殺」と言う)。 武士階級の終焉、その為にさらに2万名の犠牲を要していました。

4.「富国強兵」の結末


 長崎市 三菱重工業 長崎造船所。
かの戦艦「武蔵」が建造されたドックがいまもここにあります。 谷間に潜り込むように横たわるドックで棕櫚簾(縄のれん)に隠されて武蔵はここで生まれ、わずか2年後にフィリピンで乗員2千名余りと共に葬られます。

その技術はいま豪華客船「ダイヤモンドプリンセス」に反映され、お金持ちの娯楽を通じて技術誇示や外貨獲得に役立っています。 三菱重工といえば私なんかは受験も許されぬ超一流会社ですが国策企業の側面を感じたとき、超一流とか技術とか人間が勝手につける価値を考えさせられます。

5.「戦略無き戦術」の結末


鹿児島県 鹿屋市、そして知覧市。
太平洋戦争末期にフィリピンで始まった特攻作戦。 僅か40機の戦闘機で米機動部隊(1千機規模)を食い止めるべく方面軍が採った止むに止まれぬ戦術でした。 当初は限定戦線のつもりだったのが全軍の主戦術に位置付けられ、沖縄戦では残存航空兵力が体当り主体に使われました。 「他に手立ては無い」と言いながら止められず、やる気を示すことが唯一の戦略でした。


特に陸軍機は開戦前の旧式主体で、米軍の新鋭戦闘機には赤子同然でした。 この作戦の中止には総勢5千名の損耗を必要としました(その始めと終わりは、城山三郎著を参照ください)。

5.「無知」の結末


長崎市 浦上。
世界最初の爆縮型プルトニウム爆弾が直上500mで起爆しました。 直径わずか数十mの火球ですが1usec(100万分の1秒)で中心温度は約3万度に達し、輻射熱と大量の放射線、衝撃波で半径500m以内の生存者は1名でした。



専門的になりますが、広島原爆は砲撃型ウラニウム爆弾といい爆発技術は容易だったそうです。 アメリカはまず成功率の高いモノで実績を得て、2発目に冒険的なモノを検証したそうです。
 火球の熱線は凄まじく、コンクリート擁壁が沸騰し炭化したほどです。 人の身体は炭化する間もなく蒸発したそうです。


 世界は冷戦を予見しアメリカは終戦後の戦略を作戦につなげていました。作戦は日本降伏と時間を争いながら実行されました。 戦略欠如の日本が戦略好きのアメリカによって実験され、30万人以上の死が実験データとして残りました。

集団の最小単位が家族であり、身を守り利益を得るために民族、国家と膨張します。 大きくなるに従い「一部のわがまま」は「機会の公平」を奪うので、約束事でお互いの利害を調整します。 各々が「得る権利」と「守る義務」をバランス出来れば良いのですが、残念ながら自分で考える人は多くいません。

「いまが良けりゃ、自分さえ良けりゃ」 「損得だけがすべて」 「フツウそう」 「みんなそう」 という連鎖は巡って自分の子供を脅かします。 大人の怠慢は40年かけて子孫を殺す、とも言われます。

先の戦争も 国民が自分たちの無教養に煽動された戦争と言えるのじゃないかな。 怠慢を棚上げして何かに責任転嫁し、気付いたら戻れないところに来ているが、どうせ困るのは自分たちじゃない。 知恵をもつ人間として知恵の生かし方をもっと考えれば、みんなが住みやすくなるはず。 これは人間にしか出来ないはず。

 「
平和を維持するには大変な努力と強い意思が必要です」とは、知覧の学芸員(元特攻隊員)のことばです。 以前ボスニア難民と接したとき、パスポートを持てる幸せを感じました。 ヒースロー空港でJAL機を見たとき、頼もしさを感じました。 いまの一瞬は自然発生的なものでなく、歴史の結末から学習し未来を考えた人たちの努力と犠牲の礎にあるのです。
私はこれまで充分「得る権利」を行使させてもらえました。
これから「守る義務」を担う番です。


先人の遺産を食いつぶすだけでなく、せめて食った分くらいは自分たちも生み出す。
世代をつなぐ一員として社会に関わり、健康な次世代を育む。
一つ一つの瞬間を価値あるものに。
これからの仕事のテーマです。


農業生産に携わるとはそういうことだ、と考えています。
今月は長くなりました。 こんな話題で子どもや家内と言葉を交わす我が家の風景でした。
さて来月は、いよいよ本格化してきた移住準備について報告したいと思います。
これがなかなか容易でなく、気を緩められないのです。
来月ご報告できる時に少しでも好転していればと願いながら今月は失礼致します。

 

発行 小柴家応援プロジェクト 編集局 制作責任 小柴 孝志
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